意志力と暗黙知ー迷いを捨てるー

一日に決めなきゃいけないことは、沢山ある。

朝起きて、今日は何を着ようか。

お昼ご飯は何にしようか。

空いた時間は何をしようか。

あれをやるのはいつにしようか。

産後の睡眠不足の時に言われて嬉しかった言葉。

『今は身体の声に従ったらいいよ』

お産の直前に読んだ本が『睡眠』に関しての本だったから、睡眠がいかに大事なのは解っているものの、夜間の授乳やホルモンバランスからの影響で脳が興奮して眠りたくない。

そんな睡眠不足状態だから、間違い、ミス、物忘れは激しい。間違った選択は、悔しくて疲れる。でも、それを許す。そして、なぜかユッティーの『ちっちゃいことは気にするなーワカチコー』のフレーズが降ってきた!笑 それ、正解ですね。ミスが小さくて、本当によかった。

しかし、ほやほやの新生児をお世話するにはやることが沢山ありすぎて、あれやってこれやって、細かい決断をたったとしていかないと、何も出来ないままあっと言う間に日が暮れる。

だから、どうしよーう。と、迷わない。

ああする!こうする!今はしない!明日やる!とか決断する!

決断力の前に、その決断をする自分にはどんな意志があるのか。

ゴール設定があれば、決断しなければならない時に、ゴールの自分にふさわしい道を瞬時に決めることができる。

瞬時に決める決断力を支えるのが、意志力だ。それが直感とも言うだろう。

迷えば、迷う程、意志の力は下がるので、迷わない。迷ったら、今決めるのをやめる。明日にするとか。週末までに決めるとか。

そうすると、不安やイライラからは解放されていく。

師匠から教えてもらった『暗黙知』。私たちは、すでに多くのことを知っている。

私たちは、すでに多くのことを知っているんだから、しっかり寝たら答えは出るでしょう。雑音が消えて、脳がクリアになれば自分の純粋意識が教えてくれるはず。

意志力を鍛えるには脳の前頭前野の機能を高めること。

瞑想で、脳の筋トレ。芯が出来ていく。

マインドフルネスと禅

等々力不動尊

『私たちは、もともと完全だ』

普勧座禅儀 道元禅師より

座禅と瞑想は一体何が違うのか。

どちらもただ静かに座る。

マインドフルネスの定義は、『今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価せずに、囚われのない状態でただ観ること』『何かに気づくこと』

禅”ZEN” サンスクリット語”dhyana””禅那”の定義は、『姿勢を正して坐して心を一つに集中する。』『無我・悟りの境地に入ることを目指す』宗教的修行法。

ヨガの瞑想は、サマタ瞑想(一点集中)ディヤーナ(禅定)から入り、マインドフルネス(ヴィパッサナー瞑想)を経て悟りに至る。

何か嫌なことがあったり、不安でいっぱいになった時。今の現実に目を向けることで、それは私の頭が作り出した想像の世界であると気づく。それでも、そのことが頭から離れなくて、苦しかったり、悲しかったりするときは、”育む瞑想の喜び”を唱えることをオススメします。これは、私が大好きなやつで、私も瞑想中によく使いますし、私のヨガクラスでもよく使わせてもらっています。

育む瞑想の喜び

1、息を吸いながら、私は今、息を吸っていると気づく。/吸う

  息を吐きながら、私は今、息を吐いていると気づく。/吐く

2、息を吸いながら、私の息は深まる。/深く

  息を吐きながら、私の息はゆっくりと流れる。/ゆっくりと

3、息を吸いながら、私は静けさを感じる。/静かに

  息を吐きながら、私はくつろぐ。/くつろぐ

4、息を吸いながら、私は微笑む。/微笑み

  息を吐きながら、私は解き放つ。/解き放つ

5、現在の瞬間に安住しながら、/現在の瞬間

  すばらしい瞬間と気づく。/すばらしい瞬間

蓮華の瞑想 The Blooming of a Lotus ティク・ナット・ハン より

どうしたら幸せになるのか?

3週間前に無事に出産をし、新生児と過ごす毎日は未だかつてない幸福感に包まれている。

何故こんなにも多幸感を感じれるのか。

思い込みやとらわれのない純粋無垢な新生児の笑顔、その存在が幸せ空間を作っている。

幸せがある。あるということは、同時にないということも持ち合わせている。

空[くう]の世界。

だから、今あると感じれることを思い切り味わいたい。

「新しい実在論」をキーワードに示す、哲学者 マルクス・ガブリエル。

著書「なぜ世界は存在しないのか」

どうしたら、幸せになれるのか?

ポイントは、絶対的な幸せの法則はないこと。

幸せになりたいなら、幸せはよそにはないことを知ることだ。

幸せと感じるべきは、今だ。

10分後、死ぬかもしれないんだから。

今幸せを感じなければ、幸せは訪れない。

今幸せを感じていないなら、今それを変えるんだ。

今だよ。今。

明日死ぬかもしれないんだから。

Gabriel,Markus 

自分の可能性を自分で摘み取らない『妬み羨みの五月病』

5月も半ばになり、お花満開、新緑も日増しに成長してくる季節です。

私は、後2週間ほどで初めての出産です。

この妊娠期間の9ヶ月は本当にあっという間で、様々な体の変化や、ホルモンと心の変化、それに伴う自分の生活の中で嬉しさや悔しさや葛藤など体験しました。

『今しかない、今の自分、環境に満足して今を楽しむ。』これが最大の課題です。

マタニティヨガクラスでも、『もうやれないことが沢山出てくるから、やれることを見つけてやるの』と言う先生の言葉がとても沁みます。

鳥取県 浦富海岸

できないことが多くなると、できていた自分だったり、今できている人を羨ましく思う時があります。そして、悔しいと言う感情。思い通りにいかなくて悲しくなる。

以下 『知の体力』著者 永田和宏 より

妬ましいと羨ましいとはどう違うのだろう。

『羨む』は辞書的には『望ましい相手の状態を見て自分もそうありたいと思う』(が、そうなれなくて不満に思う)語源は『心(=うら)病む』

いっぽう『妬む』となると、ここには『羨む』よりはるかに強い敵意が感じられる。辞書は『他人の幸運・長所をうらやんで、幸福な生活の邪魔をしたく思う』

『羨む』が『自分もそうありたいと思う』と肯定的なのに対して、『妬む』は『邪魔をしたく思う』と極めて否定的で、陰湿な匂いがする。

妬みも羨みも、ともに誰かとの比較から生じる感情であるが、その比較による差が<微差>である場合のみ、なぜか羨ましい、妬ましい思いが湧く。圧倒的に優れた人、はるかな有名人、あるいは比較にならないくらいよくできる人や億万長者などに対しては、妬みの感情は湧かないものである。

それはかけ離れた存在は、自分と同じ地平で考えられないからである。自分と同じ場にいる、ごく親しい仲間、小さな世界の小さな人間関係の中でこそ、それらの感情は抜き差しならないまでに精神を支配する。

『妬み』に縁のない人間はいない。しかし、『妬み』は常に<微差>に由来しているのだと思えること。<微差>だからこそ、その気になれば、自分もその妬んでいる相手と同じ立場に立つのは可能だと思えること。そのために行動に移せること。その大切さを今一度確認しておきたいと思うのである。

『妬み』は心を内攻させ、行動を抑制する。何もしないでひとりで暗い部屋に逼塞していると、精神も行動もどんどん消極的になる。考えることも不健康になり、やがて妄想に発展する。妬ましいと思うのは、それが<微差>だからこそなのだと思えれば、能動的なアクションへ自分の背中を押してやることも可能になるはずである。

小さな世界のモヤモヤから抜け出すには、マインドフルネス。

まずは疲れていたら、ともかく寝る。

そして、五感を感じながら体を動かす。(観る・聴く・嗅ぐ・味わう・感じる)

歩くでも水泳でもヨガでも、ともかく体を動かす。

片鼻呼吸。アヌローマ・ヴィローマ(右鼻閉じて4カウントで左鼻から吸い、両鼻閉じて8カウント。左鼻閉じて8カウントで右鼻から吐く。4カウントで右鼻から吸い、両鼻閉じて8カウント。8カウントで左鼻から吐く。)3ラウンドから初めて20ラウンドまで増やす。

妊婦向け片鼻呼吸。両鼻から吸い、右鼻閉じて左鼻から吐く。

セッションが終わったら、背筋を伸ばし、目を閉じてただ座る。

吸ってー。吐いてー。深ーく長ーい鼻呼吸を繰り返し、鼻先に集中する。瞑想。

瞑想とは、自分の心が今、どういう状態にあるか常に観察する訓練です。つまり、心をある一点に集中し、心を鎮めて真我を感じ取ろうとするのです。思考の波を止めることによって本当の自分の性質を理解でき、その内側に広がる知恵と静けさを見出せるようになります。

夢を描こう☆ゴール設定

2月も間も無く終わり、ますます春めくこの頃です。

皆さま、新年には今年の夢や目標を建てたでしょうか?

2ヶ月経って、夢は少し近づいていますか?

目標は実行できていますか?

夢も目標も忘れていましたか?

そもそも、夢も目標も建てなかったですか?

私は昔、夢をみたり目標を建てるのがとても苦手でした。

でも、今は大好きです。

師匠から教えていただいた、ワクワクする夢を描く・ゴール設定のコツをお伝えいたします。

その前に、なぜヨガの講師が夢やゴール設定の話をするのかということ。

私の中でのヨガの位置付けは、『人間開発=内部表現の書き換え』です。

・気づきによる現状破壊

・脱力による能力の最大発揮

・観想法による現実創造

最高の人生を生きるためのヨガをするためにも、夢を描いてゴール設定することが大切です。

夢を持つと、お肌が綺麗になるらしい。。。

コツは、子供の頃のワクワクする感覚を思い出す感じで。

夢は、別の世界に行くためのツールです。

1、現状の外であること。私の中には、大・中・小と夢があり、大はそれ無理でしょってくらい大きなものに設定しておく。(心底では、無理って思っていない)現状とは全く違うところにいる自分であることです。

2、want toであること。自分がしたいこと。ワクワクすること。絶対条件です。親や周りの人たちから洗脳されていたら自分がしたいことではなく、他人があなたに望んでいることが夢になってしまいます。have toではないことです。

3、ゴール達成のために視野を広くもつ。ジャンルは、仕事、お金、趣味、健康、家族、生活環境。煮詰まらないためにもジャンルごとに夢があるといいですね。

4、他者性を入れる。心が折れそうな時、エネルギーを高く保つために、実現した時誰と一緒に幸せになるのか。

5、更新する。師匠は、週に1度見直して更新するとおっしゃっていました。夢を書いたノートを毎日みて、変更したくなったら更新します。そして夢は、人には言わない。夢(want to)を実現するための行動(to do)をガシガシやるのみ。そのための(have to)であれば、疲れないしワクワクしてやりたくなっちゃうことです。

脳は、大事だったり重要度の高いことだけを意識に上げてきます。

実現可能性に目を見開く事で世の中を見る目が変わります。

高まるために捨てる

先日、ヘッドスタンドができなくなる夢をみた。

できるようになりたくて、何度も練習し、首も痛めたり、恐怖心と戦ったりしてできるようになった、ヘッドスタンド。

起きた時、すごくショックで不安になってやってみたらできて、安心した。

夢占いなど、潜在意識が夢に出てくると言うが、”自分ができていたことができなくなるのが嫌なんだな。”つまりは”執着を手放すこと”をショックで不安に思っているんだと感じた。

現実、今週の月曜と土曜日を最後に南流山のホットヨガクラスをしばらくおやすみすることに決めました。

1年半と短い期間でしたが、私がヨガを指導するにあたって始めた初めてのクラス。懸命に通ってくださった方や初めてお会いした素晴らしい出会いにもものすごく思い入れがあり、後ろ髪をひかれる思いで決断をいたしました。正式な理由は、クラスで発表後にブログでもお知らせしたいと思っています。

私が、若い時に突然”死”が怖くなった時があって、その時に話を聞いてくれた憧れのお姉さんからいただいたカードに”ニーチェの言葉”が書いてあったのを思いました。

高まるために捨てる

人生はそれほど長いものではない。夕方に死が訪れても何の不思議もない。だからわたしたちが何かをなすチャンスは、いつも今この瞬間にしかないのだ。

そして、その限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。しかし、何を捨てようかと悩んだりする必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れ去るかのようにだ。

そうしてわたしたちはさらに身軽になり、目指す高みへとますます近づいて行くことになるのだ。
『悦ばしき知識』ニーチェの言葉より

ただ在るだけで

瞑想では、何もしない自分と共にいる。

『Do』ただ座るだけ『Be』在るだけ

自分という存在のあり方について、仏教の『縁起』。現象あるいは存在は相互依存関係であるがゆえに、周りの存在とどうあるべきなのかを、すごく腑に落ちる素敵なコラムを見つけたので紹介します。

相手の対応によって、自分が全開できることもあれば、逆に見る影もなく萎んでしまうこともある。できれば、自分の可能性を開いてくれる存在と向かい合いたいものである。そんな自分をもっとも素晴らしい存在と思わせてくれる存在こそが、愛する相手であってほしい。(中略)一緒にいることによって、自分のいい面がどんどん出てくると感じられる相手こそが、本当の意味での伴侶となるべき存在なのだと、私は思っている。(中略)その人と話していると、どんどん自分が開いていく気がする。お互いにそんな存在として感じられるような関係こそが、たぶん伴侶と呼ぶにふさわしい存在なのに違いない。(中略)40年連れ添った妻を失った。彼女の前で自分がどんなに自然に無邪気に輝いていたかを、今頃になって痛切に感じている。

好きな人と一緒に暮らすことは自分を輝かせること 永田和宏京大名誉教授が語る「結婚の意味」より

このコラムの最後の行にジーンときました。

何もしてくれなくても、会えなくても、死んでしまっていてもその人の存在があるから心が豊かになる。自分が輝く。自分が好きになる。

あなたにとってそんな存在とは、どんな人ですか?

どんな人のそんな存在でありますか?

健康とは

冷房もいらなくなり、窓を開けて過ごしやすい気候が続くこの頃ですが、季節の変わり目、体調管理には気を引き締めて、快適に日々を過ごしたいですね。

ヨガを実践される皆さんに共通の目的の一つは、健康であることと思います。

健康であるというのは、病気でないというだけでなく、抵抗力を備え、免疫力があり、喜びと活気に満ちている幸福な状態。

食生活や排泄、運動も大事ですが、正しい心を培うということもとても大事です。

正しい心の姿勢を培う

日常のものごと、また人生に対する心構えは、心身症や代謝病などの慢性疾患のみならず感染症の発病にも、直接または間接的に関係を持っているからです。

病気に対しては、医学的なアプローチはもちろんのこと。完全な健康を求めるには、考え方、ヨガ哲学、それ以外の哲学が大変役に立つと私は思います。

ヨガは、心の安定を得ることを目指します。

とりとめのない思いでいっぱいの心は、真の『自己』に出会えていない状態です。

人間も宇宙の完全な一部です。

心の力や自然の秩序を理解すればするほど、いっそう容易に本質的でないものごとから解放される『スピノザ(17世紀オランダのユダヤ系哲学者)』

実りのある秋になりますように★

 

自己愛と自己受容

先日のリトリートを終えて、気づきと理解が深まったことがあったので、書き残したいと思いました。

気づきや学びは、アウトプットすると理解が深まり、より深く記憶されるので、紙に書いたりブログに書いたり、人に話すといいようです。

ヨガや瞑想で内なる自分の感情に気づいていく。そうだったんだねって。

自分が自分のお母さんになったみたいに。辛かったね、苦しかったね、嬉しかったね、よくやったね。共感して、褒めてあげる。心のセルフケア。

”いい”とか”悪い”とかは、人それぞれの価値観で、物事に”いい”も”悪い”もないと言うこと。事実をあるがままに受け止める。

”いい””悪い”と言う感情が自分にあることをあるがままに受け止める。

それは、嫌なんだね。と、自分を慰る。

ある時、フラワーエッセンスのセラピストに”自己愛が足りないね”と言われた。

その時私は、「自分を愛していいのか?」と思った。

ナルシストしていいのかー?自分を甘やかして、許して、理想の形になっていない自分を認めていいのかと。

そのまま、”自己愛”とは何なのかわからないまま、特に追求もしなくいた。

ヨガを始めてから、何か考え事や悩み事が起きた時、自分自身を客観視するようになっていた。自分自身を慰るようになっていった。

ヨガを教え出してから、自己を追求する中で、”自己愛”とはの疑問が思い出された。

幼少期は、お腹が空けば泣く、構って欲しければ泣く。実体愛(自分のことしか考えない未熟な自己)自分だけ、愛せるか、愛せないか。

12才頃には、自己愛(成熟した自己)自分を愛し、他人も愛せる。

それを経て、対象愛(成熟した自己愛)へと変化していく。

 

自分が愛されるためには、相手を愛す。

自分を愛していなければ、他人も愛せない。

他人のことしか愛していない、自分のことは愛していない。

これは、自己中心性、自己利益、の考え方。

悩みや、惑い、失望、嫉妬、恨み、恐れ、失意、失恋、クビ、プライドが気づついた状態です。

他人が、認めようが拒否しようが、自分軸で自分を認めて受け入れる。

相手を愛せる人は、自分も愛せる。

 

歯磨きしなくても、死にはしないが、健康を保って気持ちよく生きられる。最終的に、虫歯から死にいたることもあるかもしれないけど。

同じように、ヨガや瞑想で内なる自分の健康を保って気持ちよく生きれるように。

自己愛を持って、自己受容する。セルフケアってとても大事なことだと思います。

瞑想の効果

『瞑想ができたら、ヨガはしなくてもいい』という言葉を聞いた時、目を丸くしましたが、今ならその意味も理解できます。

脳=体 脳の運動は、思考。体の運動は、脳の運動。

深い変性意識に入るためには、体が強くなくてはならない。

瞑想の効果を感じる時は、物事を狭い世界で考える癖があるなと認識できるようになったことです。それから、自分の欲望に対しての理解。

習慣的な思考から抜け出して、気づきの修行をする。

物事を明晰に見つめ、自覚する。

自分がどんな風になりたいのか、自分には何か足りないと思い込んでいるのか。

感情が起こった時は、気づきのヒント!

欲望があるっていう、事実。ただそれだけのことです。