自分の可能性を自分で摘み取らない『妬み羨みの五月病』

5月も半ばになり、お花満開、新緑も日増しに成長してくる季節です。

私は、後2週間ほどで初めての出産です。

この妊娠期間の9ヶ月は本当にあっという間で、様々な体の変化や、ホルモンと心の変化、それに伴う自分の生活の中で嬉しさや悔しさや葛藤など体験しました。

『今しかない、今の自分、環境に満足して今を楽しむ。』これが最大の課題です。

マタニティヨガクラスでも、『もうやれないことが沢山出てくるから、やれることを見つけてやるの』と言う先生の言葉がとても沁みます。

鳥取県 浦富海岸

できないことが多くなると、できていた自分だったり、今できている人を羨ましく思う時があります。そして、悔しいと言う感情。思い通りにいかなくて悲しくなる。

以下 『知の体力』著者 永田和宏 より

妬ましいと羨ましいとはどう違うのだろう。

『羨む』は辞書的には『望ましい相手の状態を見て自分もそうありたいと思う』(が、そうなれなくて不満に思う)語源は『心(=うら)病む』

いっぽう『妬む』となると、ここには『羨む』よりはるかに強い敵意が感じられる。辞書は『他人の幸運・長所をうらやんで、幸福な生活の邪魔をしたく思う』

『羨む』が『自分もそうありたいと思う』と肯定的なのに対して、『妬む』は『邪魔をしたく思う』と極めて否定的で、陰湿な匂いがする。

妬みも羨みも、ともに誰かとの比較から生じる感情であるが、その比較による差が<微差>である場合のみ、なぜか羨ましい、妬ましい思いが湧く。圧倒的に優れた人、はるかな有名人、あるいは比較にならないくらいよくできる人や億万長者などに対しては、妬みの感情は湧かないものである。

それはかけ離れた存在は、自分と同じ地平で考えられないからである。自分と同じ場にいる、ごく親しい仲間、小さな世界の小さな人間関係の中でこそ、それらの感情は抜き差しならないまでに精神を支配する。

『妬み』に縁のない人間はいない。しかし、『妬み』は常に<微差>に由来しているのだと思えること。<微差>だからこそ、その気になれば、自分もその妬んでいる相手と同じ立場に立つのは可能だと思えること。そのために行動に移せること。その大切さを今一度確認しておきたいと思うのである。

『妬み』は心を内攻させ、行動を抑制する。何もしないでひとりで暗い部屋に逼塞していると、精神も行動もどんどん消極的になる。考えることも不健康になり、やがて妄想に発展する。妬ましいと思うのは、それが<微差>だからこそなのだと思えれば、能動的なアクションへ自分の背中を押してやることも可能になるはずである。

小さな世界のモヤモヤから抜け出すには、マインドフルネス。

まずは疲れていたら、ともかく寝る。

そして、五感を感じながら体を動かす。(観る・聴く・嗅ぐ・味わう・感じる)

歩くでも水泳でもヨガでも、ともかく体を動かす。

片鼻呼吸。アヌローマ・ヴィローマ(右鼻閉じて4カウントで左鼻から吸い、両鼻閉じて8カウント。左鼻閉じて8カウントで右鼻から吐く。4カウントで右鼻から吸い、両鼻閉じて8カウント。8カウントで左鼻から吐く。)3ラウンドから初めて20ラウンドまで増やす。

妊婦向け片鼻呼吸。両鼻から吸い、右鼻閉じて左鼻から吐く。

セッションが終わったら、背筋を伸ばし、目を閉じてただ座る。

吸ってー。吐いてー。深ーく長ーい鼻呼吸を繰り返し、鼻先に集中する。瞑想。

瞑想とは、自分の心が今、どういう状態にあるか常に観察する訓練です。つまり、心をある一点に集中し、心を鎮めて真我を感じ取ろうとするのです。思考の波を止めることによって本当の自分の性質を理解でき、その内側に広がる知恵と静けさを見出せるようになります。

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